COMITIA110、第十九回文学フリマ(レポート)
『COMITIA110』『第十九回文学フリマ』に参加した部員のうち二人(人見広介、広報名代)より当該のレポートを寄せてもらいました。
二人分ということでやや長くなりますが以下で紹介します。
△往路に使った切符類
11月23日はコミティア110、翌24日は第19回文学フリマである。今回は同行したメンバーの提案により、夜行列車サンライズ出雲で東京行きを決定。シングル寝台の個室で22日の夜より乗車した。
閉会後は宿提供してくれた後輩宅へ。途中でダンボールを重ねた台車が横転したり道に迷ったり涙目になりながら到着。暖かいご飯で迎えてくれて一日の疲れも吹き飛んだ。
翌日、起きると早朝の設営から参加すると言っていた相方は既にない。荷物もなくなっている。そういえば二つとも持っていこうかと声を掛けられたような記憶が……無茶するなぁと思いながら用意をしてふと時計を見るとかなり差し迫った時間に! 慌てて電車に飛び乗ってから気付く。間違えた! 路線検索して進路を修正。何故か遅刻時間を十分ほど短縮することに成功。乗り換え乗り換えを繰り返していつもの東京流通センターに到着。メンバーに謝りながら始まっていたブース設営に参加。あっという間に開場となる。
昼を過ぎて一階のカレー屋さんがそろそろ空いてるかなということで、昼ごはん確保ついでに見て回ることに。今回は財布が厳しいので、引き締めねばならんと思いながら見て回っている間に両手一杯の本を抱えていることに。そういえば何度か全部一冊ずつくださいとか言ってた気がする。引き締めって何だっけ……
今回は部数を多めに用意していたので完売とはならなかったけれども、沢山手にとって頂けたようです。皆さん本当にありがとうございました! 第十九回文学フリマ、お疲れ様でした!
人見広介(Twitter)
写真を撮るのが好きではないので基本的に文章だけ(掲載写真は広報と人見氏の撮影による)。
イベントレポートというより偏った視点からの雑記。文体もごった煮。
イベント部分だけ読むならこっち(COMITIA110)とこっち(第十九回文学フリマ)だけでいい。
◆駆け足出雲
三連休の初日、晴天に恵まれた出雲は観光客で大賑わい。
大遷宮がはじまってこのかた、観光向けの宣伝が強化されているのもあってか来るたびに人が増えていると感ずる。
門前もすっかり整備され、十数年前の面影はちょっと路地に入りこまねば見当たらない。以前は山陰地方に特有のどこか陰気さを隠しきれない町といった趣であったが、近年ますますおしゃれな感じが強まっている。
スターバックスまである。この春に開業した島根二号店との由。島根一号店の開業にあたって、鳥取県だけにスターバックスが進出していないことが話題となったのも記憶に新しいが、これは利便性や横並びを気にする日本人の特性を逆手に取った東京化の波及、あるいは進攻に他ならない。古代においてヤマトに進攻され、神を放逐されたイズモであるが、シアトル系コーヒーは(スターバックスの普及している)都会からの観光客も相まって、随分な賑わいであった。とはいえ、島根二号店は大社の門前という良好な立地を活かした店舗づくりを行っており、電線の地中化や路面の美装などによって整備された街並みの雰囲気に順応しているように感じられた。観光面、雇用面などでも地元に寄与するのならば、それは侵略者ではなく良き隣人であるのかもしれない。しょせんは通過人にすぎぬ旅人の勝手な言い分。旅人の感慨は過去にばかり向く。
さて、人の多い大社をそこそこに、出雲の奥地、日御碕の人出はどうかと足を運ぶ。こちらも道中のバスまで混雑模様。人も多く天気も良い。到着は15時30分過ぎ。日が衰え傾きはじめる時刻だが、日差しは強く冬着では汗ばむほどの好天。人の多さも相まって、11月下旬の寒風吹きすさぶ日本海に突き出る半島の突端といった「最果て」感はどこにもなかった。最果て感を得るためにちょっと足を延ばして宇竜の集落に立ち寄る。
この旅人は参拝や観光が目的ではない。雰囲気を味わう訪問が目的だ。観光客とカメラが目立つ地を好かない。ただ、神前通りの美装化にせよスターバックスにせよ日御碕まで足を延ばしてくれる観光客にせよ、いずれも人で賑わってお金が落ちるのは地元にとっては悪いことではないだろう。金も落とさぬ旅人の勝手な感想など捨て置いてよい。
出雲と日御碕の滞在時間はそれぞれ1時間ちょっと。すぐに帰りのバスに乗りこむ。この時期は16時台のバスに乗ると、日本海に沈む夕日を車内から眺められる。断崖沿いの道路は一部の法面が崩落して片道通行が行われており、そのための停車で絶好の撮影タイムが生じた。雲間から垣間見える大きな日の丸を撮影する電子音で車内が時めく。私はひとり静かに夕景を心に刻む。
ちなみにバスは大社から積み残しが出るほどの大混雑であった。出雲市駅には30分近く遅延しての到着。ぎりぎりで予定を組んでいるらしき観光客が大慌てでバスを駆け下りていった。苦難と失敗を乗り越えた観光客だけが旅人になる。
◆その本命、夜行
一連の旅の本命となる寝台電車(あえて電車と書く)「サンライズ出雲」は発車10分ほど前にホームに到着する。乗車は4年ぶりくらい。東海車のI4編成。発車前後に車内の散策を軽くすませ、扉をしめ切って明かりを消すとそこはもう私の城だ。B寝台シングル上段の太平洋側は翌朝の朝焼けを狙うという思惑。
行き違いの列車の遅れで山陰線内で3分ほどの遅延が生じるが、その程度の遅れならば朝までに取り返すだろう。
米子駅でラッセルの入換を見かける。後で調べたところによると翌23日に木次線で試運転が行われた由。奥出雲おろち号の塗装車が用いられたようだが、乗車時には暗い構内ゆえよく確認できなかった。
伯備線に入る。大山の山容は暗がりにまぎれて確認できないが、出雲行の道中に確認したところ、山頂はうっすらと雪化粧をしていた。冬の訪れは紅葉に混じる薄雪が告げる。大山をはじめ、羊蹄山、岩木山、磐梯山、浅間山、富士山、開聞岳など、峨々とそびえる山は実に心を打つ。旅人はその偉容に故郷の山を重ねる。線内ではオリオンの小三つ星がくっきりと視認できた。思うに町の灯は明るすぎる。新見近辺の盆地は薄く霧が出ていた。
「サンライズ瀬戸」との併結作業は岡山駅恒例のイベントであるが、サンライズ出雲は連結後に扉を開くため見られない。
大阪駅到着。人見氏と合流。彼は1号車1番、いわゆる天井の高いお得なシングルに陣取る。初めての夜行列車なので広い個室のほうがよかろうと手配したものだ。氏は本来別の駅から乗る予定だったところを、諸般の事情で急きょ大阪からに変更している。その際にマルスが乗車変更を受け付けなかったらしく、手にしていたのは手書きの寝台券であった。希少な切符をおがませてもらう。ちなみに上りの1号車1番は最後尾の個室でもある。列車が列車なら最上の席であったろうに。
ラウンジで翌日の打ち合わせ。人見氏は米原を発車したあたりで就寝。私は再度の車内散策で14両編成を後ろから先まで往復。連休の中日を前にした上りであるが、ほぼ満席であった。サンライズ号は普段からも乗車率が高いという話を聞くが、出雲の観光客の数、旧暦10月という時期なども考えると、まさにこの連休は大繁盛なのかもしれない。岐阜あたりで横になる。
安倍川通過の音で目覚める。その後もまどろみながら過ごすが富士出発を機にラウンジへ。富士の山影らしきものを確認。シャワーを浴びて身支度。熱海を過ぎての区間では思惑通り、わが一夜の城から朝焼けに染まる相模湾を一望できた。小田原に着くと東京はもうすぐそこだ。列車は定刻通りの走行に復していた。
出雲発は18時55分、東京着は7時8分。物足りないくらいの12時間だ。移動好きの人間としては24時間でも平気で乗っていられる。
◆清朗なるコミティア
人見氏に無理くり万かつサンドを勧めてゆりかもめで会場へ向かう。太陽をやたらとまぶしがる氏を横目に、「ゆり」かもめならぬ「ばら」かもめはないのだろうかと朝からくだらないことを考える。およそどちらも健全な人間ではない。
設営はだいたいいつも人見氏の職掌。私は見本誌受付巡回への対応、ペーパーラリー提出、「文芸めぐり」および「創作小説スタンプラリー」のサークル受け付けを任される。
広報曰く今回は初出展のコミティアに力を入れているとのこと。私もちょっとだけ力を入れてからすぐ肩の力を抜く。力みすぎはよくない。「文芸めぐり」と「創作小説スタンプラリー」、二つのラリー企画が少しでも盛り上がるようにと広報が力を入れているのは知っているので、名代の私もその線で請け負う。自サークルの宣伝も大事だが、それ以前に企画自体が認知されなければ元も子もない。ラリー参加者向けに独自の企画参加割引を設定したのも、訪れた方に企画自体を知ってもらうきっかけになりたいという考えに基づく。文芸サークル同士で艦隊を組んでいるのだから、その中で各々の役割や色に見合った活動をしていくのが一番だ。
売り子の私としては、いつもの調子で近所のサークル様の迷惑とならぬ程度に声を出しつつペーパー配りとブースへ足を運んでくださった方への対応を行う(もし蒸奇都市倶楽部の売り子がうるさかったらその場で言ってくださいね)。少しでもラリー参加者の増加、賑わいに役立てていられたら嬉しい。
以前別のイベントで、16時までのところを17時までと勘違いしていて、閉幕アナウンスが流れる中を大慌てであいさつに回った苦い思い出がある。同じ轍は踏むまいと14時ごろから巡回開始。それにしてもビッグサイトに来るのは何年ぶりだろう。お盆と年末の大きなお祭りに足を運ばなくなってからすでに10年近く経つ。あいかわらず広い。これ、サークル参加して一日でじっくり回りきるのは難しいなと改めて実感す。見本誌コーナーを回るだけで1時間があっという間。
それにしても見本誌コーナーは本の重なりや裏返りがやたらと目立った。監視の係がいるのならば、せめて定期的に見本誌の整理を行ってほしい。いくらか本をばらけさせようとしたが、そもそも見本誌の机の大きさに本の数が合わないところもある。読んだ見本誌をさっと被せるようにして去る人もいる。なんだかなぁ。
事前に広報名代の任を受けているが巡回の基本はあいさつ回り、やることはいつもと変わらぬ。前日に出雲に行っていたのでいろいろなサークルの方と蒸奇都市倶楽部の間に縁を取り持てられればと願う。……というのはまあ建前。出雲は個人的に行っていただけというのが本音。
閉会後は体調のすぐれぬ人見氏を先に帰し撤収を手伝う。鏡開きまで付き合い会場を後にした。前日の出雲から食事らしきものは何も口にしていないので、日本酒が胃に沁みた。お隣のサークル様からいただいたチョコレートも美味しゅうございました。
蒸奇都市倶楽部の売り子がうるさかったら言ってくださいね。自分でもあれでいいのか気になっているのです。
◆振り返ってコミティア
この日にはけた新刊『言伝は時計にのせて』はすべて割引を適用したものとなった。
目を引きやすい漫画や、かわいい女の子の表紙、えっちな表紙、すけべな表紙などが圧倒的多数を占める中ではあったが、初出展にしては多くの人に手に取ってもらえたのではないか。などと自賛するもこれらはひとえに広報が事前にTwitterで頑張ったおかげであろう。
また、冊子を求めてくださった方々からはそれなりの期待を預けてもらえているのだと強く感じている。その期待に応えられていればまたとない幸せであるが、こればかりは個々人の嗜好や反応、内面に触れられるか次第である。ただ、今後の出展を目指すにあたって、預けてもらった期待をしっかり返せる作品を継続して提供できるように部員一同は身を引き締めなければならない。でなければ、蒸奇都市倶楽部は自己完結で満足する作品を作り続けることになってしまう。過去作を常に慊焉し、書き続けよと指摘しておく。
◆恒例尽くし
在京大手私鉄のうちいずれかの二社に乗る。上野駅の地平ホームを眺める。秋葉原駅のミルクスタンドでフルーツ牛乳を飲む。万かつサンドを食す。どこか一か所は必ず鉄道の工事区間を見る。……等、私の上京は基本的にこういった恒例で埋め尽くされている。
りんかい線国際展示場駅を起点に埼京線で川越へ。そこから東上線、池袋線、新宿線経由で再び川越へラウンドトリップ。川越線で大宮まで出てから東北線で上野、秋葉原を経由しておおよその恒例を成し遂げる。消費税が上がってから初めての上京、これまで10円単位だった私のICカードに初めて1円単位の記録が刻まれていく。
ちなみに今年は東京駅が誕生して100年であるが、途中で立ち寄った大井町駅も開業から100年だとのぼりが立っていた。こういうのは実際に立ち寄らなければ知らないままであっただろう。実地を踏む重要性というのは学問だけに限らない。
◆文学フリマで売り子は迷う
朝、曇り空ではあるが雨が降りそうではないというあいまいな天気。都会では観天望気も役立たぬ。人足が遠のかねばよいが。
宿は横浜方面なので大森駅からバス。乗りこむ人が多く、カートを二つも持っている身としてはすまなく思う。流通センター前で降りる同業と思しき人は2、3人ほどであった。都心や空港方面から通ずるモノレールに比べるとあまり知られていないアクセス手段なので狙い目である。横浜方面からだと空港や都心に出るよりも安く済ませられる場合も多い。
設営から手伝う。これも恒例の一つ。今回いつもより人手が多いと感ずる。
が、起点となる机の配置位置と実際の数があっていない、列ごとに机の端が整っていない、ロックがかかっていない(壊れてもいないのに足が偏ったままの机が配置シールを貼った後も放置されているのはどういう了見か)など、詰めの甘さが目につく。机を配置する際は、柱の「机を置かない部分」から設置していくのが最も良いと感ずるが、まあ協力者が気づいて指摘するなりこっそり直してしていけばいいのだし、事務局スタッフも頑張っているだろうからあまり口酸っぱくは言うまい。ただ、ロックに関しては毎度のことだが、マイクで再三アナウンスしないといつか事故が起こると懸念する。
人見氏が遅れるとのことで一人でブースの設営を仕上げる。途中で氏と合流。一発だけ雷。やはり開会ぎりぎりに設営が終わる。
昨日のコミティアに宣伝の力(=費用)を割いているので、今回の文学フリマはペーパーなし。ポップも前日のものの上に印刷した紙を張り付けて節倹。二日連続の刊行で想定以上に予算が飛んでいるのだ。
ただ、売り子としてはペーパーはやはりあったほうがよいと実感した。買う身に立てばわかるが、サークル前のポップをじっと見るのは精神的な労力を要する。当該サークルが「どうですか」と声や視線を投げかけてくる中でじっとブースの広告やポップを見つめるのは気恥ずかしい。だがペーパーはさっと受け取ってしまえば、スペースを離れてじっくりとサークルの宣伝を読みこめる。それで興味がわけば再度サークルスペースに足を運びもしよう。こうした理由からペーパーはあったほうがよいと断じる。むろん、予算の許す限りにおいて。
ところで売り子の身に立つ経験から言えば、見本誌を手に取ってほしいのでポップを見ている方をもう一歩分だけ内に呼びこみたいという心理もよくわかる。実際に私は「見本誌をどうぞお手に取ってくださいね」、「ごゆっくり見ていってください」などと声をかけている(立ち寄った方が見本誌を眺めている間は、声をかけず相手の顔も見ずに他のことをしている。読んでいる最中に声などかけられたくないだろう)。しかし人によってはそういう宣伝行為そのものに興醒めする場合があるのも承知している。買い手の立場に立てばその興醒めする心理もよくわかる。売り子と買い手、どちらの立場もよくわかるから、いつも売り子に立つ私は自分のやり方に迷う。
百貨店の鮮魚売り場の兄ちゃんみたいに元気に呼びかけるか、番台のおばあちゃんみたいに来る者拒まずどっしり待つか、店番任された子どもみたいに素っ気なく応ずるか、ハッピーハッピー村の無人販売所の見張りみたいになるか、どういう態度で売り子をすればいいのか、いつも切実に迷う。
ただ、売り子として売る側に偏って見た場合、自分が売るサークルの本を少しでも手に取ってもらいたいという考えが強くなる。同人誌を刷って人と直に対面する「即売会」という場に出ている以上、人間的な接触方法でもって少しでも刊行物の普及に役立ちたいと願う。なので、結果的には(迷惑にならぬ程度に)声を出してペーパーや見本誌を手にしてもらえるように声を出すよう努める。上のたとえでいうと、鮮魚売り場の兄ちゃんと番台のおばあちゃんの中間くらいに落ち着く。ひげ面のおっさんが仏頂面で店番をしているよりかは、ちょっとでもにこやかに明るく対応したほうが求めやすいのではないだろうか。
というわけで、前日と同じく周囲に迷惑にならぬ程度に声を出して売り子が登場する。せっかく作って出しているものだから売れてほしいと思うのでああいう具合になる。ただ、蒸奇都市倶楽部の売り子がうるさかったらその場でしっかり申し付けてくださいね。
余裕をもって行動しようと14時ごろから巡回。
文学フリマの見本誌コーナーはいずれの冊子もきれいに並んでいる。前日のコミティアの見本誌コーナーの荒れ具合を見ているので、よけいにその差が際立つ。コミティアは30周年だと大々的にやっていたが、こういうところで差が出てしまうのはなんだか物悲しいではないか。
さて、買ったそばからブックオフの袋に入れていくひげのおっさんがいたらそれはきっと私。ブースの方からすれば売れたものがブックオフの袋に入れられていくのはどうなんだろうと感じながらも、あれがいちばん袋の形を自由に変形させられて、カバンに突っ込んで敗れても平気なので、いつも使っている。実用優先。
◆閉幕後の侘び
後片付けの準備がほぼ済んだあとは頃合いを見て宿への途に着く。
流通センターから東海道に出て品川まで上る。11月の夜、街に沈んだ東海道を一人進む己が姿に哀愁を感じつつ宿と逆方面へ歩く旅人。昔はすぐそばまで迫っていた海岸線も今は街のかなたに遠のいてしまった。ビル、商店、家、駐車場、首都高、京急線、こういった建造物の汀を歩きながら品川宿にたどり着いた。
いつものことだが人がたくさんいる会場から抜けて一人でたどる帰路には何ともいえぬ侘びがある。それを味わうのも参加の楽しみの一つではあったのだが、この徒歩で流通センターまで(から)の常識的な経路をほぼ使いきってしまった。
なので、次までには閉会後に別の楽しみを見つけようと思う。文学フリマの関係での知り合いが少ないので、今後はそこを絡めて強化していこうかと。(事務局主催の打ち上げ参加は、交通費や印刷費などに奮発してその他を切り詰めている関係から断念していた。次は参加したい。)なんか大阪の時も同じことを言っていたな……。
◆44年目の市ヶ谷、卒寿の三島
明けて11月25日は三島由紀夫の命日、俗にいう憂国忌。あれから44年目の市ヶ谷は雨だった。
市ヶ谷駐屯地の見学は事前に申しこめば可能なのだが、2時間ちょっとの所要となるため、予定がいろいろ後に詰まっている今回はやむなく断念。それに自衛隊に乗りこんで決起を促し、ついには割腹自殺したおじさんの追悼のためにという下心ありきの見学も、なんだか先方に申し訳ない気がしたのもある。雨が降る中、防衛省の門前からちらちらと中を眺めるにとどめた。(実際に三島由紀夫が立っていたバルコニーのある庁舎は庁舎A棟の建設にあたって解体、市ヶ谷記念館として移設、復元されており、表からは見えない位置にある。市ヶ谷記念館は先述した見学ツアーのコースに組みこまれている。)
来年は三島が生まれてから90年となる。ということは彼が生きていれば90歳か。よぼよぼの三島由紀夫は見たくないな。そういう点では、45歳までの写真しか残っていない三島由紀夫は死によって己の思想や姿、美を永遠の一点にとどめきったのであろう。
死によって芸術や美は完成する――。三島の作品によくみられるモチーフである。
◆東京大阪3900円
品川駅の工事状況を見る。東海道線の東京~横浜を終日運休して大規模な切り替えを行ったのがちょうど一年前の11月23、24日だ。田町車両センターの線路も車内から見える範囲ではほぼ全てが撤去されていた。
帰りは新東名ライナーで名古屋、名神ハイウェイバスで大阪を経由して帰る。
東京から大阪まで3900円は冗談ではない。名古屋までは早割21使用で2400円、名古屋からは名神高速線50周年の謝恩割引を利用して1500円、しめて3900円となる。ちなみに東京~名古屋の早割21は、発時間帯が午前の便ならば発売開始30分程度で売り切れてしまう。それが平日であってもだ。私はロッピーに張り付いて時計とにらめっこしながらかろうじて入手した。謝恩割引は来年2月まで限定の切符で、こちらもお買い得きっぷだ。私のような移動が苦にならぬ人間にはうってつけであろう。
東京駅で深川めしと万かつサンドを求めて乗車。東京よりの帰りの車中で駅弁と万かつサンドかまい泉のカツサンドを買うのも恒例。
あいにくの雨模様で富士山は見えずじまい。だいたい3割ぐらいの確率でしか富士山を見られない。
名古屋ではJNRマークの入ったバスを見かける。国鉄の表記まである。なんだこの車両は……。
帰宅後に調べると、JRバス関東が国鉄デザインを復刻し「青いつばめ」として走らせている車両との由。国鉄バスは1964年10月、新幹線やオリンピックと同じ月に高速バスの運行を開始した。それを記念しての復刻デザインだそうだ。ちなみにこの国鉄バス最初の高速路線こそ先の50周年謝恩割引が行われている名神高速線である。ちなみに東名ハイウェイバスは45周年。いずれにせよ日本の大動脈を走る高速路線バスにとって節目の年であるのは間違いない。私が見かけたのはセレガ。フロントのJNRマークが輝かしい。継承後のJRバスには側面のつばめだけが残った。
大阪までの道中では休憩停車の甲南PAで同じく休憩停車中のグランドリーム号と遭遇する。あれ、10月末日にデビューしたグランドリーム号の車両は夜行のみの運用ではなかったか。昼の間合いもこなしているのだろうか……。
これも帰って調べたところ、グランドリームの車両は昼間の運行を開始する告知が行われていた。PAで見かけた車両はグラン昼特急609号で、この日がグラン昼特急としての初運行日とのことであった。
東京駅で見かけたサンライズ号といい、復刻デザインの車両といいグラン昼特急の初運行日の遭遇といい、こういう機会にだけは恵まれている。
大阪からもう一つ高速バスを乗り継いで帰宅した。
△おそらく自分のサークルの冊子は辛うじてわかるだろうという映り具合
俗にいう戦利品さらし。なのだが、全然さらしになっていない。携帯電話が古すぎてナチュラルぼかし。どう頑張ってもこれ以上は鮮明に撮影できなかった。せっかくだから掲載してみてはと広報に勧められたが、こんなもので本当によいのか。
広報名代
二人分ということでやや長くなりますが以下で紹介します。

△往路に使った切符類
11月23日はコミティア110、翌24日は第19回文学フリマである。今回は同行したメンバーの提案により、夜行列車サンライズ出雲で東京行きを決定。シングル寝台の個室で22日の夜より乗車した。
夜行列車! 個室! pic.twitter.com/PdC5UBfVZM
— 人見広介 (@kaiki_HQ) 2014, 11月 22
こういう旅に憧れていたので、夜はややテンション高めでうろうろしていたのだが、時間も経たぬ間に酔ってしまった。早々に就寝。おはようございます。こちら現地班です。無事に東京駅に到着! これより現地に向かいます。 pic.twitter.com/jQkAUWJFKJ
— 蒸奇都市倶楽部 (@steam_city_club) 2014, 11月 22
東京着後、怒涛の勢いでビッグサイトへ。もはや何時に会場入りしたのやら思い出せない。会場の広さに圧倒されながらも、設営開始、あっという間に開場となった。設営完了。お待ちしております! #文芸めぐり #創作小説スタンプラリー pic.twitter.com/v0vEqbmOEs
— 蒸奇都市倶楽部 (@steam_city_club) 2014, 11月 23
コミティアということで、小説のみの本はあんまり売れないかもしれない、と思いきや、意外と手にとって頂けてちょっとびっくり。無料配布のペーパーも徐々にはけていく。閉会後は宿提供してくれた後輩宅へ。途中でダンボールを重ねた台車が横転したり道に迷ったり涙目になりながら到着。暖かいご飯で迎えてくれて一日の疲れも吹き飛んだ。
翌日、起きると早朝の設営から参加すると言っていた相方は既にない。荷物もなくなっている。そういえば二つとも持っていこうかと声を掛けられたような記憶が……無茶するなぁと思いながら用意をしてふと時計を見るとかなり差し迫った時間に! 慌てて電車に飛び乗ってから気付く。間違えた! 路線検索して進路を修正。何故か遅刻時間を十分ほど短縮することに成功。乗り換え乗り換えを繰り返していつもの東京流通センターに到着。メンバーに謝りながら始まっていたブース設営に参加。あっという間に開場となる。
@steam_city_club: おはようございます! 現地班です! 文学フリマのブース設営完了しました。ウ−23にてお待ちしております! #bunfree #創作小説スタンプラリー pic.twitter.com/BRNrf90Y5J
— 蒸奇都市倶楽部 (@steam_city_club) 2014, 11月 24
前回の大阪と、昨日のビッグサイトと、違う会場でのイベントが連続していた為か、流通センターの、いつもの文学フリマの光景にほっとするものがあった。肩の力を抜いて楽しく参加となった。昼を過ぎて一階のカレー屋さんがそろそろ空いてるかなということで、昼ごはん確保ついでに見て回ることに。今回は財布が厳しいので、引き締めねばならんと思いながら見て回っている間に両手一杯の本を抱えていることに。そういえば何度か全部一冊ずつくださいとか言ってた気がする。引き締めって何だっけ……
今回は部数を多めに用意していたので完売とはならなかったけれども、沢山手にとって頂けたようです。皆さん本当にありがとうございました! 第十九回文学フリマ、お疲れ様でした!
人見広介(Twitter)
写真を撮るのが好きではないので基本的に文章だけ(掲載写真は広報と人見氏の撮影による)。
イベントレポートというより偏った視点からの雑記。文体もごった煮。
イベント部分だけ読むならこっち(COMITIA110)とこっち(第十九回文学フリマ)だけでいい。
◆駆け足出雲
三連休の初日、晴天に恵まれた出雲は観光客で大賑わい。
大遷宮がはじまってこのかた、観光向けの宣伝が強化されているのもあってか来るたびに人が増えていると感ずる。
門前もすっかり整備され、十数年前の面影はちょっと路地に入りこまねば見当たらない。以前は山陰地方に特有のどこか陰気さを隠しきれない町といった趣であったが、近年ますますおしゃれな感じが強まっている。
スターバックスまである。この春に開業した島根二号店との由。島根一号店の開業にあたって、鳥取県だけにスターバックスが進出していないことが話題となったのも記憶に新しいが、これは利便性や横並びを気にする日本人の特性を逆手に取った東京化の波及、あるいは進攻に他ならない。古代においてヤマトに進攻され、神を放逐されたイズモであるが、シアトル系コーヒーは(スターバックスの普及している)都会からの観光客も相まって、随分な賑わいであった。とはいえ、島根二号店は大社の門前という良好な立地を活かした店舗づくりを行っており、電線の地中化や路面の美装などによって整備された街並みの雰囲気に順応しているように感じられた。観光面、雇用面などでも地元に寄与するのならば、それは侵略者ではなく良き隣人であるのかもしれない。しょせんは通過人にすぎぬ旅人の勝手な言い分。旅人の感慨は過去にばかり向く。
さて、人の多い大社をそこそこに、出雲の奥地、日御碕の人出はどうかと足を運ぶ。こちらも道中のバスまで混雑模様。人も多く天気も良い。到着は15時30分過ぎ。日が衰え傾きはじめる時刻だが、日差しは強く冬着では汗ばむほどの好天。人の多さも相まって、11月下旬の寒風吹きすさぶ日本海に突き出る半島の突端といった「最果て」感はどこにもなかった。最果て感を得るためにちょっと足を延ばして宇竜の集落に立ち寄る。
この旅人は参拝や観光が目的ではない。雰囲気を味わう訪問が目的だ。観光客とカメラが目立つ地を好かない。ただ、神前通りの美装化にせよスターバックスにせよ日御碕まで足を延ばしてくれる観光客にせよ、いずれも人で賑わってお金が落ちるのは地元にとっては悪いことではないだろう。金も落とさぬ旅人の勝手な感想など捨て置いてよい。
出雲と日御碕の滞在時間はそれぞれ1時間ちょっと。すぐに帰りのバスに乗りこむ。この時期は16時台のバスに乗ると、日本海に沈む夕日を車内から眺められる。断崖沿いの道路は一部の法面が崩落して片道通行が行われており、そのための停車で絶好の撮影タイムが生じた。雲間から垣間見える大きな日の丸を撮影する電子音で車内が時めく。私はひとり静かに夕景を心に刻む。
ちなみにバスは大社から積み残しが出るほどの大混雑であった。出雲市駅には30分近く遅延しての到着。ぎりぎりで予定を組んでいるらしき観光客が大慌てでバスを駆け下りていった。苦難と失敗を乗り越えた観光客だけが旅人になる。
◆その本命、夜行
一連の旅の本命となる寝台電車(あえて電車と書く)「サンライズ出雲」は発車10分ほど前にホームに到着する。乗車は4年ぶりくらい。東海車のI4編成。発車前後に車内の散策を軽くすませ、扉をしめ切って明かりを消すとそこはもう私の城だ。B寝台シングル上段の太平洋側は翌朝の朝焼けを狙うという思惑。
行き違いの列車の遅れで山陰線内で3分ほどの遅延が生じるが、その程度の遅れならば朝までに取り返すだろう。
米子駅でラッセルの入換を見かける。後で調べたところによると翌23日に木次線で試運転が行われた由。奥出雲おろち号の塗装車が用いられたようだが、乗車時には暗い構内ゆえよく確認できなかった。
伯備線に入る。大山の山容は暗がりにまぎれて確認できないが、出雲行の道中に確認したところ、山頂はうっすらと雪化粧をしていた。冬の訪れは紅葉に混じる薄雪が告げる。大山をはじめ、羊蹄山、岩木山、磐梯山、浅間山、富士山、開聞岳など、峨々とそびえる山は実に心を打つ。旅人はその偉容に故郷の山を重ねる。線内ではオリオンの小三つ星がくっきりと視認できた。思うに町の灯は明るすぎる。新見近辺の盆地は薄く霧が出ていた。
「サンライズ瀬戸」との併結作業は岡山駅恒例のイベントであるが、サンライズ出雲は連結後に扉を開くため見られない。
大阪駅到着。人見氏と合流。彼は1号車1番、いわゆる天井の高いお得なシングルに陣取る。初めての夜行列車なので広い個室のほうがよかろうと手配したものだ。氏は本来別の駅から乗る予定だったところを、諸般の事情で急きょ大阪からに変更している。その際にマルスが乗車変更を受け付けなかったらしく、手にしていたのは手書きの寝台券であった。希少な切符をおがませてもらう。ちなみに上りの1号車1番は最後尾の個室でもある。列車が列車なら最上の席であったろうに。
ラウンジで翌日の打ち合わせ。人見氏は米原を発車したあたりで就寝。私は再度の車内散策で14両編成を後ろから先まで往復。連休の中日を前にした上りであるが、ほぼ満席であった。サンライズ号は普段からも乗車率が高いという話を聞くが、出雲の観光客の数、旧暦10月という時期なども考えると、まさにこの連休は大繁盛なのかもしれない。岐阜あたりで横になる。
安倍川通過の音で目覚める。その後もまどろみながら過ごすが富士出発を機にラウンジへ。富士の山影らしきものを確認。シャワーを浴びて身支度。熱海を過ぎての区間では思惑通り、わが一夜の城から朝焼けに染まる相模湾を一望できた。小田原に着くと東京はもうすぐそこだ。列車は定刻通りの走行に復していた。
出雲発は18時55分、東京着は7時8分。物足りないくらいの12時間だ。移動好きの人間としては24時間でも平気で乗っていられる。
◆清朗なるコミティア
人見氏に無理くり万かつサンドを勧めてゆりかもめで会場へ向かう。太陽をやたらとまぶしがる氏を横目に、「ゆり」かもめならぬ「ばら」かもめはないのだろうかと朝からくだらないことを考える。およそどちらも健全な人間ではない。
設営はだいたいいつも人見氏の職掌。私は見本誌受付巡回への対応、ペーパーラリー提出、「文芸めぐり」および「創作小説スタンプラリー」のサークル受け付けを任される。
広報曰く今回は初出展のコミティアに力を入れているとのこと。私もちょっとだけ力を入れてからすぐ肩の力を抜く。力みすぎはよくない。「文芸めぐり」と「創作小説スタンプラリー」、二つのラリー企画が少しでも盛り上がるようにと広報が力を入れているのは知っているので、名代の私もその線で請け負う。自サークルの宣伝も大事だが、それ以前に企画自体が認知されなければ元も子もない。ラリー参加者向けに独自の企画参加割引を設定したのも、訪れた方に企画自体を知ってもらうきっかけになりたいという考えに基づく。文芸サークル同士で艦隊を組んでいるのだから、その中で各々の役割や色に見合った活動をしていくのが一番だ。
売り子の私としては、いつもの調子で近所のサークル様の迷惑とならぬ程度に声を出しつつペーパー配りとブースへ足を運んでくださった方への対応を行う(もし蒸奇都市倶楽部の売り子がうるさかったらその場で言ってくださいね)。少しでもラリー参加者の増加、賑わいに役立てていられたら嬉しい。
以前別のイベントで、16時までのところを17時までと勘違いしていて、閉幕アナウンスが流れる中を大慌てであいさつに回った苦い思い出がある。同じ轍は踏むまいと14時ごろから巡回開始。それにしてもビッグサイトに来るのは何年ぶりだろう。お盆と年末の大きなお祭りに足を運ばなくなってからすでに10年近く経つ。あいかわらず広い。これ、サークル参加して一日でじっくり回りきるのは難しいなと改めて実感す。見本誌コーナーを回るだけで1時間があっという間。
それにしても見本誌コーナーは本の重なりや裏返りがやたらと目立った。監視の係がいるのならば、せめて定期的に見本誌の整理を行ってほしい。いくらか本をばらけさせようとしたが、そもそも見本誌の机の大きさに本の数が合わないところもある。読んだ見本誌をさっと被せるようにして去る人もいる。なんだかなぁ。
事前に広報名代の任を受けているが巡回の基本はあいさつ回り、やることはいつもと変わらぬ。前日に出雲に行っていたのでいろいろなサークルの方と蒸奇都市倶楽部の間に縁を取り持てられればと願う。……というのはまあ建前。出雲は個人的に行っていただけというのが本音。
閉会後は体調のすぐれぬ人見氏を先に帰し撤収を手伝う。鏡開きまで付き合い会場を後にした。前日の出雲から食事らしきものは何も口にしていないので、日本酒が胃に沁みた。お隣のサークル様からいただいたチョコレートも美味しゅうございました。
蒸奇都市倶楽部の売り子がうるさかったら言ってくださいね。自分でもあれでいいのか気になっているのです。
◆振り返ってコミティア
この日にはけた新刊『言伝は時計にのせて』はすべて割引を適用したものとなった。
目を引きやすい漫画や、かわいい女の子の表紙、えっちな表紙、すけべな表紙などが圧倒的多数を占める中ではあったが、初出展にしては多くの人に手に取ってもらえたのではないか。などと自賛するもこれらはひとえに広報が事前にTwitterで頑張ったおかげであろう。
また、冊子を求めてくださった方々からはそれなりの期待を預けてもらえているのだと強く感じている。その期待に応えられていればまたとない幸せであるが、こればかりは個々人の嗜好や反応、内面に触れられるか次第である。ただ、今後の出展を目指すにあたって、預けてもらった期待をしっかり返せる作品を継続して提供できるように部員一同は身を引き締めなければならない。でなければ、蒸奇都市倶楽部は自己完結で満足する作品を作り続けることになってしまう。過去作を常に慊焉し、書き続けよと指摘しておく。
◆恒例尽くし
在京大手私鉄のうちいずれかの二社に乗る。上野駅の地平ホームを眺める。秋葉原駅のミルクスタンドでフルーツ牛乳を飲む。万かつサンドを食す。どこか一か所は必ず鉄道の工事区間を見る。……等、私の上京は基本的にこういった恒例で埋め尽くされている。
りんかい線国際展示場駅を起点に埼京線で川越へ。そこから東上線、池袋線、新宿線経由で再び川越へラウンドトリップ。川越線で大宮まで出てから東北線で上野、秋葉原を経由しておおよその恒例を成し遂げる。消費税が上がってから初めての上京、これまで10円単位だった私のICカードに初めて1円単位の記録が刻まれていく。

ちなみに今年は東京駅が誕生して100年であるが、途中で立ち寄った大井町駅も開業から100年だとのぼりが立っていた。こういうのは実際に立ち寄らなければ知らないままであっただろう。実地を踏む重要性というのは学問だけに限らない。
◆文学フリマで売り子は迷う
朝、曇り空ではあるが雨が降りそうではないというあいまいな天気。都会では観天望気も役立たぬ。人足が遠のかねばよいが。
宿は横浜方面なので大森駅からバス。乗りこむ人が多く、カートを二つも持っている身としてはすまなく思う。流通センター前で降りる同業と思しき人は2、3人ほどであった。都心や空港方面から通ずるモノレールに比べるとあまり知られていないアクセス手段なので狙い目である。横浜方面からだと空港や都心に出るよりも安く済ませられる場合も多い。
設営から手伝う。これも恒例の一つ。今回いつもより人手が多いと感ずる。
が、起点となる机の配置位置と実際の数があっていない、列ごとに机の端が整っていない、ロックがかかっていない(壊れてもいないのに足が偏ったままの机が配置シールを貼った後も放置されているのはどういう了見か)など、詰めの甘さが目につく。机を配置する際は、柱の「机を置かない部分」から設置していくのが最も良いと感ずるが、まあ協力者が気づいて指摘するなりこっそり直してしていけばいいのだし、事務局スタッフも頑張っているだろうからあまり口酸っぱくは言うまい。ただ、ロックに関しては毎度のことだが、マイクで再三アナウンスしないといつか事故が起こると懸念する。
人見氏が遅れるとのことで一人でブースの設営を仕上げる。途中で氏と合流。一発だけ雷。やはり開会ぎりぎりに設営が終わる。
昨日のコミティアに宣伝の力(=費用)を割いているので、今回の文学フリマはペーパーなし。ポップも前日のものの上に印刷した紙を張り付けて節倹。二日連続の刊行で想定以上に予算が飛んでいるのだ。
ただ、売り子としてはペーパーはやはりあったほうがよいと実感した。買う身に立てばわかるが、サークル前のポップをじっと見るのは精神的な労力を要する。当該サークルが「どうですか」と声や視線を投げかけてくる中でじっとブースの広告やポップを見つめるのは気恥ずかしい。だがペーパーはさっと受け取ってしまえば、スペースを離れてじっくりとサークルの宣伝を読みこめる。それで興味がわけば再度サークルスペースに足を運びもしよう。こうした理由からペーパーはあったほうがよいと断じる。むろん、予算の許す限りにおいて。
ところで売り子の身に立つ経験から言えば、見本誌を手に取ってほしいのでポップを見ている方をもう一歩分だけ内に呼びこみたいという心理もよくわかる。実際に私は「見本誌をどうぞお手に取ってくださいね」、「ごゆっくり見ていってください」などと声をかけている(立ち寄った方が見本誌を眺めている間は、声をかけず相手の顔も見ずに他のことをしている。読んでいる最中に声などかけられたくないだろう)。しかし人によってはそういう宣伝行為そのものに興醒めする場合があるのも承知している。買い手の立場に立てばその興醒めする心理もよくわかる。売り子と買い手、どちらの立場もよくわかるから、いつも売り子に立つ私は自分のやり方に迷う。
百貨店の鮮魚売り場の兄ちゃんみたいに元気に呼びかけるか、番台のおばあちゃんみたいに来る者拒まずどっしり待つか、店番任された子どもみたいに素っ気なく応ずるか、ハッピーハッピー村の無人販売所の見張りみたいになるか、どういう態度で売り子をすればいいのか、いつも切実に迷う。
ただ、売り子として売る側に偏って見た場合、自分が売るサークルの本を少しでも手に取ってもらいたいという考えが強くなる。同人誌を刷って人と直に対面する「即売会」という場に出ている以上、人間的な接触方法でもって少しでも刊行物の普及に役立ちたいと願う。なので、結果的には(迷惑にならぬ程度に)声を出してペーパーや見本誌を手にしてもらえるように声を出すよう努める。上のたとえでいうと、鮮魚売り場の兄ちゃんと番台のおばあちゃんの中間くらいに落ち着く。ひげ面のおっさんが仏頂面で店番をしているよりかは、ちょっとでもにこやかに明るく対応したほうが求めやすいのではないだろうか。
というわけで、前日と同じく周囲に迷惑にならぬ程度に声を出して売り子が登場する。せっかく作って出しているものだから売れてほしいと思うのでああいう具合になる。ただ、蒸奇都市倶楽部の売り子がうるさかったらその場でしっかり申し付けてくださいね。
余裕をもって行動しようと14時ごろから巡回。
文学フリマの見本誌コーナーはいずれの冊子もきれいに並んでいる。前日のコミティアの見本誌コーナーの荒れ具合を見ているので、よけいにその差が際立つ。コミティアは30周年だと大々的にやっていたが、こういうところで差が出てしまうのはなんだか物悲しいではないか。
さて、買ったそばからブックオフの袋に入れていくひげのおっさんがいたらそれはきっと私。ブースの方からすれば売れたものがブックオフの袋に入れられていくのはどうなんだろうと感じながらも、あれがいちばん袋の形を自由に変形させられて、カバンに突っ込んで敗れても平気なので、いつも使っている。実用優先。
◆閉幕後の侘び
後片付けの準備がほぼ済んだあとは頃合いを見て宿への途に着く。
流通センターから東海道に出て品川まで上る。11月の夜、街に沈んだ東海道を一人進む己が姿に哀愁を感じつつ宿と逆方面へ歩く旅人。昔はすぐそばまで迫っていた海岸線も今は街のかなたに遠のいてしまった。ビル、商店、家、駐車場、首都高、京急線、こういった建造物の汀を歩きながら品川宿にたどり着いた。
いつものことだが人がたくさんいる会場から抜けて一人でたどる帰路には何ともいえぬ侘びがある。それを味わうのも参加の楽しみの一つではあったのだが、この徒歩で流通センターまで(から)の常識的な経路をほぼ使いきってしまった。
なので、次までには閉会後に別の楽しみを見つけようと思う。文学フリマの関係での知り合いが少ないので、今後はそこを絡めて強化していこうかと。(事務局主催の打ち上げ参加は、交通費や印刷費などに奮発してその他を切り詰めている関係から断念していた。次は参加したい。)なんか大阪の時も同じことを言っていたな……。
今後はイベント終了後の打ち上げなどにも横のつながりで出られるような知己を得られるように活動を続けたいものである。自分から飛び込んでいいのかどうかわからないからね。(第二回文学フリマ大阪)帰りに東京駅に寄った際に、東海道線ホームに下りサンライズ瀬戸・出雲が停車していた。同列車で東京に到着し、近く東京を発つこの日に再びサンライズ号を見かけるとは、少なからぬ奇縁を感じた次第。
◆44年目の市ヶ谷、卒寿の三島
明けて11月25日は三島由紀夫の命日、俗にいう憂国忌。あれから44年目の市ヶ谷は雨だった。
市ヶ谷駐屯地の見学は事前に申しこめば可能なのだが、2時間ちょっとの所要となるため、予定がいろいろ後に詰まっている今回はやむなく断念。それに自衛隊に乗りこんで決起を促し、ついには割腹自殺したおじさんの追悼のためにという下心ありきの見学も、なんだか先方に申し訳ない気がしたのもある。雨が降る中、防衛省の門前からちらちらと中を眺めるにとどめた。(実際に三島由紀夫が立っていたバルコニーのある庁舎は庁舎A棟の建設にあたって解体、市ヶ谷記念館として移設、復元されており、表からは見えない位置にある。市ヶ谷記念館は先述した見学ツアーのコースに組みこまれている。)
来年は三島が生まれてから90年となる。ということは彼が生きていれば90歳か。よぼよぼの三島由紀夫は見たくないな。そういう点では、45歳までの写真しか残っていない三島由紀夫は死によって己の思想や姿、美を永遠の一点にとどめきったのであろう。
死によって芸術や美は完成する――。三島の作品によくみられるモチーフである。
◆東京大阪3900円
品川駅の工事状況を見る。東海道線の東京~横浜を終日運休して大規模な切り替えを行ったのがちょうど一年前の11月23、24日だ。田町車両センターの線路も車内から見える範囲ではほぼ全てが撤去されていた。
帰りは新東名ライナーで名古屋、名神ハイウェイバスで大阪を経由して帰る。
東京から大阪まで3900円は冗談ではない。名古屋までは早割21使用で2400円、名古屋からは名神高速線50周年の謝恩割引を利用して1500円、しめて3900円となる。ちなみに東京~名古屋の早割21は、発時間帯が午前の便ならば発売開始30分程度で売り切れてしまう。それが平日であってもだ。私はロッピーに張り付いて時計とにらめっこしながらかろうじて入手した。謝恩割引は来年2月まで限定の切符で、こちらもお買い得きっぷだ。私のような移動が苦にならぬ人間にはうってつけであろう。
東京駅で深川めしと万かつサンドを求めて乗車。東京よりの帰りの車中で駅弁と万かつサンドかまい泉のカツサンドを買うのも恒例。
あいにくの雨模様で富士山は見えずじまい。だいたい3割ぐらいの確率でしか富士山を見られない。
名古屋ではJNRマークの入ったバスを見かける。国鉄の表記まである。なんだこの車両は……。
帰宅後に調べると、JRバス関東が国鉄デザインを復刻し「青いつばめ」として走らせている車両との由。国鉄バスは1964年10月、新幹線やオリンピックと同じ月に高速バスの運行を開始した。それを記念しての復刻デザインだそうだ。ちなみにこの国鉄バス最初の高速路線こそ先の50周年謝恩割引が行われている名神高速線である。ちなみに東名ハイウェイバスは45周年。いずれにせよ日本の大動脈を走る高速路線バスにとって節目の年であるのは間違いない。私が見かけたのはセレガ。フロントのJNRマークが輝かしい。継承後のJRバスには側面のつばめだけが残った。
大阪までの道中では休憩停車の甲南PAで同じく休憩停車中のグランドリーム号と遭遇する。あれ、10月末日にデビューしたグランドリーム号の車両は夜行のみの運用ではなかったか。昼の間合いもこなしているのだろうか……。
これも帰って調べたところ、グランドリームの車両は昼間の運行を開始する告知が行われていた。PAで見かけた車両はグラン昼特急609号で、この日がグラン昼特急としての初運行日とのことであった。
東京駅で見かけたサンライズ号といい、復刻デザインの車両といいグラン昼特急の初運行日の遭遇といい、こういう機会にだけは恵まれている。
大阪からもう一つ高速バスを乗り継いで帰宅した。


△おそらく自分のサークルの冊子は辛うじてわかるだろうという映り具合
俗にいう戦利品さらし。なのだが、全然さらしになっていない。携帯電話が古すぎてナチュラルぼかし。どう頑張ってもこれ以上は鮮明に撮影できなかった。せっかくだから掲載してみてはと広報に勧められたが、こんなもので本当によいのか。
広報名代
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