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身を尽くしてもなお沈み

身を尽くしてもなお沈み
(ミをツくしてもなおシズみ)

中編となります。
表紙デザインは『手向けの花は路地裏に』に引き続きへっぽこタルト様に担当していただきました。

書影
身を尽くし表紙blog

頒価:400円
頁数:82ページ
版型:文庫版(A6判)
発行日:2016/03/21
著者:蒸奇都市倶楽部(シワ)
デザイン:へっぽこタルト

在庫
多数

あらすじ
帝都の高等女学校に通う志都美と澪は仲の良い同級生だ。
交友のはじまりは尋常小学校六年のころにさかのぼる。

かつて志都美は尋常学校で孤立していた。彼女の父が役人だというので、同級生たちからは「税金で暮らす役人の娘」との謂われなき由にて疎んじられていたのである。そうした志都美と同級生の間に立ったのが、転校してきて間もない澪であった。

澪の差し伸べた手によって孤立状態から放たれて以来、志都美は澪に尊崇の念をいだいている。
『澪が見ていてくれるから何でもできる。澪がいたから今の自分がいる。』
そうまで考えていた志都美であったが、進学という未来が立ちはだかる。
『このままではなによりも大切な親友と離ればなれになってしまう!』
大切な友人との未来を手にするにはどうすればいいか、なにがなんでも未来を手に入れたい。
志都美は大いに煩悶する。そんな彼女がとった選択は――

関連作
本作のスピンオフ『信愛の澪』を当電子広報で公開しています。
『信愛の澪』は本作とあわせてお読みいただけますと効果的です。
『信愛の澪』



サンプル公開
創作文芸見本誌会場 HappyReadingさま
※当記事下部にも同様のサンプルがございます。

本文と挿絵の見本
画像クリックで大きく表示されます。
※サンプルは実寸ではありません。実寸はA6版、本文は18文字40行の文字サイズ12級となっています。

*5ページ~10ページ
身を尽くし005 身を尽くし006 身を尽くし007 身を尽くし008 身を尽くし009 身を尽くし010

以下、画像と同じ部分の抜粋です。
 
 
※サンプルではルビを省略しています。

 取り返しがつかないことをしてしまった!
 少女は打ちひしぐ。ほんの出来心だったのに。こんなことになるなんて思ってもみなかった。そう嘆いてもすでに遅いのはわかっていた。
 それでも彼女は、好きな人へ働いてしまった恐ろしい仕打ちに震え、幾重にも後悔を重ねつづける。鎖につながれた犬が、断ち切れない鎖を振りほどこうとして勢いをつけて、同じところをぐるぐると回りつづけるように。
 違う! 彼女は慌てて否定する。
 こんな時に犬の喩えだなんてろくでもない。
 もっと一緒にいたい。
 ただそれだけを願ったのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろう。
 これが呪いをかけた罰だというのだろうか。
 大切な人を殺してしまった罪だというのだろうか。
 こんなはずではなかったのだ。
 もう償うべき相手はいない。
 ぴしゃ、ぱしゃ、と間近でなにかが雨に打たれている。
 それが大切な人でないのは、彼女が一番よくわかっていた。
 はっ、はっ、はっ、と荒々しい呼吸を繰り返すそれは――

   1

「おはようございます、香芝さん。」
 いつもの門前で、いつもの言葉。志都美に投げかけられる毎朝の挨拶。
「おはようございます――」そこまで口にして志都美は悩む。それもいつものこと。彼女は毎朝悩んでいる。そのすえに、「天王寺さん。」と返す。いつものように。澪さん、と下の名で呼びたい気持ちをおさえて。いつかはそう呼べる関係になりたいと願っている志都美であるが、いまはまだ、と二の足を踏んでいた。
 相手が姓で呼んでいるのに、こちらが名で返すのはあまりに馴れ馴れしすぎるし、だいいち澪も快く思わないのではないだろうか。
 こうした不安は、志都美が澪に感じている引け目に由来している。
「それでは婆や、行ってまいります。」
「お二人ともいってらっしゃいませ。もしお帰りの際に雨が降っているようでしたら、どうかご連絡を。香芝さんもご一緒にお送りいたしますので、ご遠慮なく。」
 澪の父の乳母を務めていた老婆は、志都美にも叮嚀に頭を下げる。
「いえ、ご迷惑をおかけするわけには……、私は傘を持って来ていますから。」
「いいのですよ香芝さん、婆やはこうやって世話を焼くのが好きなのですから。」
「そうでございます。お若いのですから、どうかそのまま甘えて下すって構わないのです。わたくしめが好きでやっていることでございますので。さア、あんまりここでしゃべっていると予鈴に遅れますよ、そろそろ本当に行ってらっしゃいませ。」

 女学生たちが会話を交わしながら通学路を行く光景は、どんな季節でも変わりない。変わっていくものがあるとすれば、少女たちの学年と季節に応じた会話の中身だ。
「今年の雨期は普段よりもじめじめした日がつづきますわね。」
 澪が空をふり仰ぐ。重々しい鈍色の雲が天を覆うていた。
「ええ、起きたときには身体がなんだか重く感じられてしまって。」
 そう答える志都美は、澪を見かけた瞬間にはもう、湿気た空気を忘れてしまいそうなほどにからっとしてしまったけれども、恥ずかしくてとても口には出せない。
「わかりますわ、髪がいっそう重い気がいたしますの。はしたないですけれども、こんな時だけはばっさりと切ってしまいたい気分になりますわね。」
「天王寺さんがそんなことを言うなんて意外だな。」志都美は驚いた顔をしてみせた。「だけどその気持ち、とてもよくわかりますよ。」
「わたくしは顔があんまり大づくりなので、髪を切ってもきっと似合わないでしょうけれども、香芝さんはお顔が小さいですから、短くしてもお似合いでしょうね。きっと天苑昴のように引き締まって見えてよ。」
「まあ! 私と比べられる天苑昴が可哀そう。」
 現在のレビュウ界をけん引するといわれる人気男役を引き合いに出され、志都美がおどけて面白おかしく返す。澪がころころと笑う。志都美もそれにつられて朗らかに笑い、
「だけど本当に、こうじめじめした日が続くのは珍しいね。」
「ええ、珍しいといえば、半年前には西部市だけが少し暖かかったといいますし……。季節のつじつまがおかしくなっている気がして、なんだか怖いですわ。婆やが言っていたのですけれども、季節の変化は人間の心と身体にも大きな影響をもたらすから、それがおかしくなるということは、心と身体にも悪い影響が出てしまうのだとか。もちろんあまり悪いことばかり考えて口にしたくはありませんが……。」
「なんだっけそれ? 悪いことを口にしたらだめっていう極東の風習。」
「コトダマです。言葉や文字にはその人の〝気〟が乗るとされていますから、たとえ話であっても自分の不幸を口にしては現実になりえますし、他人の悪口を言ってしまっては、悪い〝気〟が相手のみならず自分にもよからぬ影響を与えてしまうといいますわ。」
「そうそう、それだ。天王寺さんが言うとおり、気を悪く持ったら、それこそ余計に悪い影響が出てしまう。じめじめしている原因はいつもより蒸気が多いだけかもしれないじゃない。空があんな鈍い色じゃ、蒸気と雨雲の見分けなんてつかないけれどさ。」
 物事を痛ましくとらえる澪を見たくなくて、志都美はすぐに慰藉にかかる。
 例年の雨期といえば、しとしととぬめりつくような雨を降らせながらも、ほんの二週間ほどでさっと通り過ぎてしまう。しかし今年は雨が降らない日が長くつづいていた。五月の終わりごろからずっとこんな調子である。重い灰色が帝都の上で手を広げている。しかしその曇り空が、煤煙を含んで濁っている普段のものなのか、帝都北方に広がる東洋の水気をはらんだ雨雲なのかは、雨が降り出すまでわからない。
「いつ降ってくるのかわからないのでは、確かに気が気ではないね。私なんかはこう見えても心配性だからさ、いつも傘を手放せなくって。」
「香芝さんの傘は立派な太い骨をお持ちですから、どんなに激しい雨風にさらされてもきっと身を守ってくださいますわね。」
「うん、だからいつ雨が降ってもへいちゃら。それに開きも大きいから、天王寺さんを中に入れても問題ない。」言いきってから、「んだよ?」とうかがうように付け加える。
「その時はきっとわたくしを入れてね。門の前では婆やの肩を持つようなことを言ったけれども、婆やにあんまり無茶をさせたくもないから。」
 空模様に似合わぬ穏やかな表情を浮かべて、澪は幼いころから親しんだ婆やを労わる。
 澪が多くの級友から慕われるのは、こうした慈しみの心をいつも忘れず、誰にもほほ笑みを絶やさないからだ、と志都美は思う。それはひとりでいた私にも優しく接してくれたあの日から変わっていない、と。
 あたかも雄大な山がその麓で滋味の豊かな水を湧出させるように、開豁な澪の表情には優しく穏やかな情愛が湧き出ている。自分の顔を大づくりだといった澪だが、大きめな目と整った鼻と口がほどよく配されていて、山といってもそつなくそびえる秀峰の趣である。興味に応じてよく動く目や口は、草木に映し出される季節の移ろいのようでもあり、見ているほうは大づくりというよりも細やかな印象を受けるだろう。大づくりという本人の言い分は、良家に育った者が備えるといわれる、卑屈や嫌味を感じさせぬあの自然な謙遜が発させたものではないだろうか。
 たとえどんなに激しい雨足が訪れたとしても、澪を前にすれば、たちどころに恵みをもたらす慈しみの雨に変わるに違いない。志都美にはそんなふうにさえ思われた。肥沃な山麓に吹く風のような穏やかさにいつまでも触れていたかった。
 澪という存在は片親の志都美にとって、彼女に欠けていたがゆえに飢えていたもの、つまりは娘が母親にいだく愛情――慈しみの楯の庇護下にあるという安堵からくる、安穏とした依存――の代替ではなかったか?
 ならば志都美は、この年頃の娘が母親に向けるべき感情の矛先を、近いうちに澪に向けてしまうのではないだろうか。いっときの嫉妬や怒りといった反抗心を。
 友情を代替した友への愛情に、志都美は気づきもしない。ただ彼女は、遠くない日に訪れる澪との別れの予感から募りくる不安を、曇り空の向こうに押し隠しきれなくなっていた。それは母から引き離されるのを極度に恐れる、赤子の心地であったかもしれない。
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